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格闘技をはじめる
リズボク開発者タカシウチノは幼少の頃、「オリンピック選手である父と比較される事が嫌で、父よりも強くなりたい」と格闘技に興味を持ち、小学校から空手や少林寺拳法を習い幼少時代を過ごす。格闘技を通して、身体と共に精神も鍛えられていることに気づく。
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KALIとの出会い
18歳で単身渡米。ミネソタ大学に在学。格闘技が大好きだった内野は、友人の勧めでKaliに出会う。学費と生活費を得る為に、日本語と格闘技を教えるアルバイトを始める。大学の卒論で、「美と健康と心の豊かさ(Goodfeeling)を追求してゆく自分のジムを持つ」という内容を書いていたので、格闘技を教えるジムの原点はここにあるのかもしれない。
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ジムOPEN
ミネソタ大学を卒業し、大手機械メーカーに入社。20代にして日本代表を務めるようになるが、内野が本当にやりたいことである格闘技を追求する為に退社。1991年大阪梅田に、フィットネスクラブTSDKALIを開設。
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格闘家と経営者との間での葛藤
ジムのメインプログラムは、内野がアメリカ時代に習得したKali。ブルースリーも映画で披露したKali。その武術が日本で唯一習える場所であるため、全国の注目を浴びると見込んでいた。しかし、集まった会員はたった8名。運転資金が底をつくのは時間の問題だった。内野は「格闘家として脚光を浴びたい自分と、経営者として会社を成功させたい自分。どっちつかずの状態だったことがうまくいかなかった原因だった。」と当時を語る。
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元世界チャンピオンとの出会い
そんな頃、ボクシングの元世界チャンピオンと出会った。「パンチやキック、関節技、投げ技、武器術など、様々な格闘技的要素がある方がエクササイズとして魅力的で、ボクシングはパンチしかないので魅力に欠けると考えていた。しかし、拳の限られた部分しか使うことができないルールのボクシングで世界を取るということは、多くの格闘技が出来ることよりも凄いことなんだということを元世界チャンピオンから学んだ。」と内野は当時の自分をこう振り返る。そこから、自らもボクシングジムに通い、一からボクシングを習う。元世界チャンピオンとの300ラウンドを越えるスパーリングを含む激しい練習によりボクシングを習得、それがリズミックボクシングが他にない抜群の効果を出すTUオリジナルのシェイプアップエクササイズとなる。
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リズボク誕生
内野はKaliやキック、関節技などのあらゆる技術を、ボクシングに集約し、ここにリズボクが誕生する。リズボクには、ボクシング寄りのリズボク(エイトバイエイト1999年誕生)から、Kali寄りのリズボク(Feelエイト2012年誕生)、そしてその中間のリズボク(NEWエイト2006年誕生)があり、それぞれシェイプアップ効果が出る部位が違う。今もなお進化を続けている。
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本物である証明
リズボクが出来た当時、フィットネスといえば、エアロビクスが主流。 突然、この世に現れたリズボクは、フィットネス業界はおろか、格闘技界からも「中途半端な運動」という目で見られていた。次に内野がやるべきことは、リズボクが「本物」であることの「証明」だった。ボクシングを極めて創ったリズボク。ならば、リズボクを習った者が格闘家としても強くなるはず。リズボク誕生と同時に500名程いた格闘技レッスンのみを受ける男性会員の中より、リズボクのレッスンを基本トレーニングとして選手を育て、1997年ISKA(アイ・エス・ケイ・エイ)アマチュア世界チャンピオンを誕生させた。リズボクが、単に音楽に合わせたダンス的なものではないことを証明。格闘技各団体からも、フィットネスの業界からも一目置かれる存在となった。